ヘレニズムとは?五島健太が紹介

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五島健太が語るヘレニズム、美術の特徴
日本の弥生時代と同じ時期に、古代ギリシアを発信地として東方の国々へ広まっていったヘレニズム文化。民族の枠組みを脱した世界市民的な思想が、ヨーロッパ全体を取り巻く意識として定着するきっかけにもなったとされます。そんなヘレニズム文化の中で生きた人々は、心の豊かさを重んじており、後世に残る美術も数多く生み出しました。五島健太が、その詳細をお伝えします。代表的なのが、彫刻です。直立不動ではなく躍動感を思わせるポーズをとった全身像が、ヘレニズム文化における彫刻の特徴で、‏鑑賞する角度によって印象が変化する奥深さがあります。また、動作にダイナミックさがあっても顔は敢えてすました表情にすることで、洗練を打ち出しました。有名なものでは、「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」などを挙げることができます。ヘレニズム文化の中で育まれた美的なこだわりは、ローマ時代の彫刻にも受け継がれることとなっています。

ヘレニズム文化の象徴である「ミロのヴィーナス」
ヘレニズム文化の象徴である「ミロのヴィーナス」に興味津々な五島健太は、以前フランスまで「ミロのヴィーナス」を見に行きました。「ミロのヴィーナス」のまわりはとてもすごい人だかりでしたね。
「ミロのヴィーナス」といえば両腕がありません。たくさんの芸術家・科学者がこのかけた腕をもったヴィーナスの姿を復元しようと試みたそうです。失くした腕は林檎を手にしているという噂などはありますが、どのような姿であったのかという定説はありません。五島健太は腕がないからこそ、想像をかきたてられるのでよいのではと思いますね。

ヘレニズム文化
ヘレニズム文化について五島健太がご紹介します。ヘレニズム文化はアレクサンドロスが大帝国を作り上げたこの時代にギリシャ世界とオリエント世界が交流することによって出来る新しい文化が開花しました。アレクサンドロス大王が死んだ後も、後継国家であるプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアなどでは、コイネーと呼ばれるギリシャ語をエリート層が公用語とし、ギリシャ文化と現地の文化を融合させていきました。この時代の文化をヘレニズム文化といいます。

五島健太が語るヘレニズム、世界市民主義の文化が生まれる
時は紀元前334年、古代ギリシアを支配していたアレクサンドロス大王は、より強固な地位を確立すべく国を出て東方遠征を開始します。アレクサンドロス大王が西はイタリア、東は中央アジアまで征服に成功したことから、国と国との境目があいまいになり、ヘレニズムと呼ばれる新たな時代の幕開けとなりました。そこで、ヘレニズムの特徴的な概念について、五島健太がご紹介したいと思います。ヘレニズム時代の民衆を覆っていたのが、世界市民主義(コスモポリタニズム)と称される思想です。"民族や人種、国家の枠にとらわれず、大きなひとつの世界で共に暮らす私達になろう"という、今で言うところのグローバリゼーションです。この世界市民主義を背景に、自らの心のあるがままに幸せを探す流れが生まれ、慣習よりも理性を重んじて生きることを奨励するゼノンや、平穏さや心地よさを追求するエピクロスといった哲学者が大いに支持されました。

ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)の祖、ヘレーンに由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス3世(大王)(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。
wikipediaより抜粋

古代オリエント文化との融合
アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。この文脈でヘレニズムの語を用いたのは、19世紀ドイツの歴史学者ヨハン・グスタフ・ドロイゼンである。ドロイゼンの功績は、それまでマケドニアによるポリス征服までが古代ギリシア史の重要範囲とされていたため、ほとんど省みることがなかった征服以降の時期に脚光を当てたことである。これによって、多くの研究者の関心がこの時代に向かい、研究が前進することになった。
wikipediaより抜粋

人物彫刻の特徴
古代ギリシアの文明の一種であるヘレニズムに深い関心を抱く五島健太が、この時代における人物彫刻の特徴について述べたいと思います。自然主義哲学が高い支持を得ていたヘレニズム期は、芸術分野において"躍動感の伴う究極の美"が求められていました。
ゆえに、古代ギリシア芸術の象徴と言える人物彫刻も、その前の時代の直立型ではなく、左右アシンメトリーなポーズをとっているのがヘレニズム期の主流です。
立体感が増すシルエットになるため、角度によってその印象がガラッと変わるのが、鑑賞者の想像力をより引き立てます。そして、ヘレニズムが後期になればなるほど、今度は洗練を求めて無表情な面立ちの人物彫刻が増えてゆきました。

ヘレニズム関連書籍

''旧約預言の歴史―カナン定着からヘレニズム時代まで
''要旨(「BOOK」データベースより)
旧約聖書における預言現象をイスラエル全史にわたって展望する画期的著作―待望の翻訳成る。
目次(「BOOK」データベースより)
第1章 序説―研究の対象の限定
第2章 始まりからアモスまで
第3章 アッシリアの進展の時代
第4章 国家独立の終焉
第5章 古い秩序と新しい秩序との中間時代
第6章 捕囚後の共同体における預言者と預言

旧約聖書続編講義: ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ文書を読み解く
本書はヘレニズム・ローマ時代に生み出されたが、70年以降のユダヤ教側が顧みることをしなかった諸文書をその本来の環境の中に戻して読む試みである。表題の一部となった「旧約聖書続編」は、新共同訳聖書の中で使用されている呼称であるが、そこで取り上げられた文書を本書の中で取り上げた。

''プトレマイオス王国と東地中海世界―ヘレニズム王権とディオニュシズム
''目次
凡例
序章
第一部 前期プトレマイオス朝とギリシア世界
第一章 プトレマイオス朝研究の視座
第二章 初期プトレマイオス朝とギリシア本土の諸都市
補論一 エーゲ海域におけるプトレマイオス朝権力の浸透「諸島民のコイノン」と外国人判事

第二部 ディオニュシズムの形成
第三章 プトレマイオス二世のプトレマイエイア祭典行列
第四章 ヘレニズム君主とディオニュソスのテクニタイによる祭典文化
第五章 プトレマイオス朝におけるディオニュソス崇拝の変容
補論二 プトレマイオス二世による祭典行列の年代について

第三部 後期プトレマイオス朝とギリシア世界
第六章 プトレマイオス四世による「四〇の船」の建造
第七章 プトレマイオス四世による「タラメゴス号」
終章

初出一覧/あとがき/プトレマイオス朝系図/ギリシア語史料
参考文献/略号一覧/事項索引/人名索引
著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
波部 雄一郎(ハベ ユウイチロウ)
1978年兵庫県生まれ。関西学院大学大学院博士課程後期課程修了。博士(歴史学)。現職、関西学院大学非常勤講師。専攻は古代ギリシア史、ヘレニズム時代史
出版社からのコメント
プトレマイオス朝は多文化多民族からなる王国を約300年間どのようにして支配し続けたのか。ヘレニズム時代の評価に一石を投じる

''ヘレニズムとオリエント―歴史のなかの文化変容 復刊 (ミネルヴァ・アーカイブズ)
''要旨(「BOOK」データベースより)
文化の接触・交流、あるいは文化の伝播・受容のありようについて考える視点から、「ヘレニズム」の諸相を観察し、分析。課題を限定して、セレウコス王朝がその領土とした小アジア以東の諸地域における文化接触の諸相に、焦点をしぼった。
目次(「BOOK」データベースより)
第1部 ヘレニズム研究の再検討(ドロイゼンのヘレニズム概念
都市建設とヘレニズム
都市と従属民―プリエネのペディエイスについて
農民身分の問題
セレウコス朝の支配とオリエント人―アンティオコス三世時代の場合)
第2部 ヘレニズム時代における文化変容(史料と解釈の問題
リュキア―クサントスを中心に
リュディア―サルデイスを中心に
パレスティナ―ユダヤ人とヘレニズム
バビロニア―ウルクを中心に)

  • 最終更新:2014-07-30 17:38:42

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